「社会とは俺である!」
田舎を元気にすることは、自分が元気であること。

ーー前半で、「田舎を元気にしたい」という言葉が出ましたが、まちづくりに興味があるんですか?

玉樹真一郎(以下、玉樹):田舎を元気にしたいという気持ちはありますが、「まちづくり」と聞くと、少し疑問を覚えます。まちづくりっていうけど具体的には何をつくっているんでしょう? そもそも“まち”って何なんでしょう?

例えば、建物を建てたら、まちになるのでしょうか? クローン人間をつくって、同じような人を同じように配置したらまちになるのでしょうか? というふうに考えてしまうのです。

要は“まち”って定義できないんです。これだけいろんな人やものが絡まっていて、こんがらがっていて、どれだけの手間やお金をかけても同じものをコピーすることはできない。数学の概念には複雑系という考え方がありますが、そのふるまいをまったく予想できないくらい複雑なのが、まち。それをつくるって、そもそも可能なの?? という感覚に陥ってしまいます。

同じような言葉に“社会”があります。「社会貢献」といいますが、社会って何ですか? と考えてしまいます。このへんは悩みましたが、結論、「社会とは、俺である!」という定義に辿り着きました。

ーーなかなかパワーのあるワードが出てきましたね(笑)。 その意図は?

玉樹:社会が暗いというけれど、本当に暗いと感じている主体は「僕」。社会がギスギスしているというのは、僕がギスギスしているだけ、ということに気がついたんです。

まちづくりにしても、社会貢献にしても、まず自分を楽しませればいいのかなと思います。そしたら八戸に、楽しげにうろうろしてる人がひとり増えるってことでしょう? つまり、それがまちづくり・社会づくりになるのかな、と思って。

要は責任を持ちたいんだと思うんです。もし自分が、まちづくりという言葉を言ったとしたら、私は何に責任を持つのかを説明しなければなりません。“まち”とか“社会”は、複雑でわからなさすぎて責任を持てないので、もっと手前の段階で責任を持つとしたら、自分しかないなと。もうひとつ広げたとしても、せいぜい家族や友人・知人になるのかなと思います。

だから、まちづくりや社会貢献で大事にしていることは何かというと、「自分」です。僕が楽しげにニコニコしていれば、まちがよくなるはずだと考えていますね。

ーーまちづくりの責任の所在、ですか。地方について、また深く考えさせられました。とはいえ、まち全体にもひとつのコンセプトが必要だと考えます。今、地方にはどういったコンセプトが求められているのでしょうか?

玉樹:地方の場合、東京に比べて「発展が遅いから面白くない」という言い方もできますが、「だから面白い」と言えると思います。ですから、発展していないように見せかける技術こそ、むしろ求められているのではないでしょうか。

ーー発展しないように見せかける技術というのは?

玉樹:ゲームづくりにしても、ビジネスの企画をつくるにしても、お客さんが何を期待しているのか? からはじまります。お客さんの期待というのはエネルギーで、それを開放できればお金とか悦びに変換されます。

例えば、よく出す例えなのですが「京都に“おいでやす”と書かれていたらみんなうれしい」。それはみんなが暗黙的に、京都に行けば「おいでやす」と言ってもらえると期待してるから。

ただ、八戸の場合で考えると、駅に「おんでやんせ」って書いてあっても、残念ながら誰もうれしくありません。なぜならば、そもそも「おんでやんせ」という方言をみんなが知らないから。みんなが知らないということは、誰も期待していないということです。

そうしたときにできる仕掛けとしては、駅で「おんでやんせ八戸」と書かれたポスターを見て、「八戸ではおんでやんせというのか」と知らせたあとに、陸奥湊に行ったら元気なカッチャたちに「おんでやんせー! いがったら買えー!」と言われて「やっぱりおいでやんせって言うんだ!」と感じ、うれしさにたどりつく。と、ここまでの体験を考えないといけないんですよね。

ではここで、都会と田舎という文脈に戻します。都会に住んでいる人が田舎に行く場合、田舎に期待していることはなんですか?というお話です。

大多数の方は、田舎に発展していないことを望むはず。だから、全体的に発展させてしまうと、「せっかく田舎に来たのに何も面白くなかった」と、お客さんの期待を裏切ることになってしまいます。

ーー幹線道路の脇に、大手の紳士服店、ファストフード店、ファミレスなどの看板が並んでいる写真が挙げられて、日本中どこも一緒だとみんな愕然とするみたいなことがありますね。

玉樹:まさにそれです。発展させるにしても、変な方向に発展させないといけない。なんなら、発展させないほうがよっぽどお客さんの期待には応えていることになります。

ですが、だからといって、中心街の〈ポータルミュージアムはっち〉や〈八戸ブックセンター〉、〈八戸市美術館〉をつくったことはダメだったのか? といったらそんなことないと思います。

一度お客さんに「八戸は期待通りの田舎だなぁ」と信じてもらえていたとしたら、今度は先進的で文化的な建物を見せると、「おお、予想外! なんかいいじゃん!」という驚きに変わったりするわけです。逆に、日本でも先進的な本屋さんのかたちを体現した〈八戸ブックセンター〉を体験したあとに、〈れんさ街〉の公共トイレに行ってびっくりするとか(笑)。

どういう順番でお客さんに見せると、お客さんが一番こころが動くか? を考えるのが、私の仕事になるんでしょうね。素材が共通でも、見せる順番で体験はまったく変わってきますから。

いずれにせよ、全部発展させると面白くありません。田舎は田舎という想定で振って、一回それに応えてあげる。でも、それを裏切るシーンがところどころにあると気持ちいいですね。いかに発展してないところを残すか? 変なところを、いかに局所的に発展させるのか。わざとアンバランスにつくることが地方には問われていると思います。

小さな失敗の連続が、
進化につながる。

ーー『直耕インスピレーション』でも、「直接耕していく」ということで、他のまちと同じじゃない文化が、その業界の発展に寄与したとか、生きる軸になっていたとか、個別で特殊な発展を遂げていけるのではないかと考えています。例えば、デコトラとか。

玉樹:まったくですね。さっき話に出ていた、「日本の幹線道路が全部一緒じゃないか」っていうのは、要は“文化的小作人”をやっているようなもの。都市のコピーを地方に展開して、栄養を吸い上げているだけ。一方で、地方の人たちは「変な作物だけど、生えてきちゃったから育ててあげよう!」みたいな感じで、自分たちで何かを育てていくべきだと思います。だからこそ、まさに地方に求められているのは“直耕”なんだと思います。

ーーそういった人たちのヒントになるためには、どんな仕掛けが必要なのでしょうか。

玉樹:今、頭に浮かんできたのはある逸話なんですが。世の中には、電子回路の工作にハマッちゃう人たちがいるのですが、そういった電子回路の虜になる人たちには、ある共通の体験があるんだそうです。何だと思いますか?

ーー失敗して、バチッ‼️ と爆発させたことがあるとかでしょうか?

玉樹:おお、正解です‼️ コンデンサを爆発させた経験があるということです。

ーー爆発させたことで、なぜ電子回路の虜になってしまうのでしょうか?

玉樹:ひとつ目の条件として、それをやりながら、心が激しく動く体験をしたということ。爆発したあとに笑い話になるわけですから、死なない程度の刺激は、楽しい思い出になっていきます。

ふたつ目の重要な点は、「悪いことをした」ということ。失敗して爆発させたこと、部品を損失したことは、世間一般的には悪いことですよね。ものを粗末に扱ったとか、罪を犯したとか、そういった良心に従った、やってはいけないとされる行動の枠組みも、同時に爆発して消えているんです。「でも死ななかった。じゃあ次は、これをつけてみよう!」なんて自由な気持ちになって、やがてクリエイティビティも上がっていくんです。

実はゲームでも同じことをしています。お客さんにいかに悪いことをさせるか。お客さんの自由な想像力を引き出したいときは、非常に重要なUXデザインです。

いいことをしなさいとか、死なないように失敗しないように行動しなさいと言われているときって、みんな安全なことしかしないし、最も安全な経路しか通らないんです。そうすると、100万人のユーザーが、100万人みんな同じ行動をとってしまいます。

ところが、そのゲームがお客さんの創造性を引き出そうという場合、それではダメですね。みんなが同じことをしてしまうんですから。だからこそ、お客さんに小さな悪いことを体験させます。そして、この範囲のなかでしか行動をしてはいけないという枠を取っ払うんですね。

話を戻すと、電子回路にハマる人は、先ほどのふたつの心が動く体験を通して「自分は思うがままに何をしてもいいんだ」と学習したということなんです。

コンデンサを爆発させた人たちは、心が激しく動くほどの体験をして、悪いことをしてしまったが死ななかったので、「何してもいいんだ!」という気持ちになって、電子回路の世界の虜になっていった……というストーリーなのです。

ーーなるほど。同じように、地方の人たちにもコンデンサを爆発させるような体験が必要ということなのでしょうか。

玉樹:そうですね。やっぱりみんな、失敗しないで生きていきたいじゃないですか。ですが、人目を気にして失敗しないように生きると、変なことをする人も自然と減ってしまうでしょう。

逆に考えれば、まずは仲間内でやってみることが大切なのかもしれません。内輪ノリで勝手にやりはじめて、大きな失敗をするものの命に別条はなく、しばらくあとで笑い話になるようなこと。そんなことをしているうちに、いつの間にか変なものを身内でつくってしまっている。

地方は本来、それが得意なはずなんですが、変に人目に見えちゃう空間ばっかり整備されてしまったことで、局所的な濃いコミュニティができづらくなっているのかもしれませんね。

ーー毎日いろんなところで、小さな爆発を連続させている人は、自分を常に進化させているんですね。

玉樹:みんなにそういう体験をさせたいですよね。ポイントとしては、電子回路にハマった人が、ハマろうと思ってハマっているわけではない、ということだと思います。仕事や学校の課題で、とりあえずやったものが、そのとき、たまたま爆発させたことによって好きになるというそういう変化が起きるわけで。

そういう体験をたくさんさせるには、どうしたらいいのか考えてみたいですね。「好きではないと思うけど、仕方ないからやってみてください」という場を、いかにセットアップするか。

玉樹:これは、どれだけ言葉にしてもだめで、体験にしてあげないといけないと思います。一方的に見させられる動画とかではなく、インタラクティブなもの。できれば、本人がやるタイプの体験。お客さんが自分でやっているという体験を地方に散りばめたいですね。そういう仕掛け、仕組みづくりみたいなものに興味あります。

ちょっと悪い視野……。ちょっとした“悪さ”って面白いですよね。

ーーキャッチーなこと言いますね(笑)。 “悪さ”ってなんですかね。

玉樹:やっぱりルールの通りに動くって楽しくないですよね。子どもを育てていても思うんですけど、ルール通りに振る舞わせようとすると、こちらも子どもも楽しくない。お前がどう考えるかではなくルールを優先しろって言ってる段階で、人権を踏みにじっているし、踏みにじられているわけですから。

「自己効力感」という言葉がありますが、自分の思い通りに事を成しているときに強く感じるんです。ルールを守るんじゃなくて、自分が何を思うかで行動したときに感じる気持ちです。「自分でやってやった」「爆発させたったー!」という体験が、結果的に自己効力感を生んでいると思います。

ちょっとした悪さは、楽しくて、人々の自己効力感につながっているのかもしれません。

玉樹さんのインスピレーションの源、
それは、メモ。

ーーこれで最後の質問になりますが、玉樹さんのインスピレーションはどこから湧いてくるのでしょうか。

玉樹:一番はメモですかね。とにかく、ひたすらメモをとっています。思いついた瞬間に記録しないとだめなんです。この間書いたメモをひとつ、ご紹介します。

「田舎の贅沢さって、一見すると、どこにもない。ちゃんとあるにはあるんだけど、妙なところにある。例えば、ナタの持ち手のスベスベ感。あんなに握ってて気持ちのいいものはない。それが納屋の角あたりに適当に立てかけられてたりする」というメモです。

想像できますか? あの持ち手の気持ちよさったらないですよね。あれ都会にないですよ。そんな気持ちのいいものが、乱雑に置いてある。それが素敵だなぁと思って。

正直いうと、みんな立派なことばかり考えていて、だからみんな同じことばかり考えてしまっている。だからお金がないと勝てない土俵に乗ってしまい、だから田舎って勝てないんだと思います。みんなと違うことを考えないといけないし、変なこと考えなきゃいけないと思うんですよ。地方には変なことを考えなきゃいけない宿命がある。そう考えると、ヒントはやっぱり地方にある。結果的に都会で戦うことになっても、そのヒントは地方にあると思います。

ーー地方にこそ、東京にはないものがある。

玉樹:僕は、東京はぬるま湯だって話をよくするんです。その真意はですね、東京の人は、みんな賢くてみんな優しいので、東京で働いてるとすっごく楽なんです。ぬるま湯に浸かってるみたいに。

だって、電車で7人がけの席に7人座っているんですよ。青い森鉄道で、あの座席に7人座っているところ、見たことないですもん(笑)!

でも、逆にいうと、東京にいるとあまりいいネタがないんです。少なくとも、僕たちが試されることがありません。田舎にいると、よく試されることがあるんですが。

例えば、田舎のおじいちゃんおばあちゃんに「Wii」はわかりません。こちらとしては、然るべき人たちが頑張って、いいものつくったのが「Wii」なのに。「わがんね」の一言で、ポンと蹴る人がいっぱいいるわけですよ。そんな時、ものすごく試されます。

ほかにも、移動しようにも足がない、金がない。何か買うにも店がない。試されることがたくさんあって、それがインスピレーションな気がします。

そういう課題だらけの地方の方が、よっぽど面白いと僕は思うんです。

ーー『コンセプトのつくりかた』の最後にも、コンセプトワーカーたるもの、未知の世界に飛び込んでいくのが宿命だというような文章がありました。

玉樹:結局、それが一番楽しくて、自己効力感が上がるということなんでしょうね。

人からやらされたことって面白くないんですよね……。自分きっかけで、自分の気持ちで何かをやり始められたことこそが、自分は本当に面白いことをできているんだという確信につながるかもしれません。

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PROFILE

玉樹真一郎(たまきしんいちろう)

青森県八戸市在住。全世界で1億台を売り上げた「Wii」の生みの親。2010年に任天堂を退社後、青森県八戸市にUターンして独立・起業。現在はわかる事務所代表として、全国の企業や自治体などで、セミナーやワークショップを行うほか、コンサルティング、ウェブサービスやアプリケーション開発などを行っている。そのほか、八楽株式会社 社外取締役。特定非営利活動法人プラットフォームあおもり副理事長。GOB Incubation Partners株式会社 社外取締役。
著書に『コンセプトのつくりかた』『「ついやってしまう」体験のつくりかた』(いずれもダイヤモンド社)がある。
一番好きなゲームは〈マザー2〉。