メディアをつくることがゴールじゃない

——藤本さんといえば、秋田のフリーマガジン『のんびり』やウェブマガジン『なんも大学』も今や伝説ですよね。合わせると10年くらいになると思うのですが、これはどうやって続けてこられたんでしょうか。

右が秋田のフリーマガジン『のんびり』。編集者界隈でも話題になっていた。

藤本:『のんびり』をやることが決まったとき、もちろん大手の広告会社さんとか、競合の会社がたくさん手を挙げていたんだけど、僕らのチームを選んでくれた県庁の人たちが、「我々としてもみなさんを選んだのはチャレンジです」って言ったのね。役所の人が「チャレンジ」って言った! っていうのが、結構衝撃で。

でも、そんな言葉を言ってもらえて、絶対にこの人たちに恥をかかしたらあかん、頑張ろうと思って。なので、決まってすぐ県庁の人たちに、「めちゃめちゃ頑張ります」と。「めちゃめちゃ頑張るから1年でやめます」って言ったんです。

——決まったばかりなのにそんな宣言を!

藤本:めちゃめちゃ頑張るから、こんなこと何年も続けられないと思うんでって。そしたら県庁の人には、「どうか来年も予算をって言ってくる人はいっぱい見てきたけど、1年でやめますって言われたのは初めてです」って言われた。

——そうでしょうね(笑)。

藤本:他の仕事を断って『のんびり』に全力投球しますっていう、自分なりの決意表明だったわけ。反響があったりいろんなことがあって、『のんびり』は4年間やることになるんですけど。だからそういう意味では、やめるまでにえらいかかったな〜みたいな感じはある。

——それくらい求められていたメディアということですね。

藤本:僕がよく言うのは「メディアをつくることがゴールじゃないよね」ってことなんです。例えば、秋田に池田修三っていう木版画家がいて、今でこそ秋田空港に作品が展示されていたり、中学校の美術の資料集の表紙になっていたりするんですけど、以前は池田修三の「い」の字もなかったんですよ。

でも、実は秋田の人たち大抵、絵は見たことある。実家に飾られていたり、銀行の通帳の表紙に使われたりしていたので。それで、名前こそ知らないけど馴染みがあるっていう、池田修三作品をちゃんと認識して貰って、広めていくために特集を組むんだけど、当然特集を組んで終わりじゃない。スタートでしかないっていうか。

その誌面で展覧会やることを発表しちゃって、たくさんの人たちがきてくれて、その後作品集を編集して、自分の車に作品を積んで、青森なら弘前、南は熊本とかまで自分で搬入して、トークイベントして帰ってくるみたいなことを延々自腹でやった。これって完全に県庁の要求やミッションを超えてる。それでも、僕は本気で惚れたから、池田修三を秋田の宝にしないとって思いですすめたし、秋田のメンバーに本や雑誌をつくることがゴールになっちゃいけないってことを身をもって伝えたかった。

——手弁当でやられていたわけですね。なぜそこまでできたんでしょう。

藤本:カルチャーにしようぜっていうのが多分、最終的な目標としてある。だからマイボトルという言葉をつくって、水筒を持ち歩く文化をつくろうとしたときも、最初に「すいとう帖」っていう水筒の本をつくったけど、その本が完成したことや売れることが目的じゃなかった。みんなが会社に魔法瓶を持って行ってくれる世の中をつくりたいって言うのがゴール。その手段としてのメディアっていう。

だからその役割を果たせば、次のフェーズにいきたいって思ってやめるんですよね。

——次のフェーズにいってもいいなっていうのはどんなきっかけで?

藤本:いろいろあります。愛もエネルギーも限界があるから、全部やれないので選択していくっていうパターンもあるし、よそ者なんで何かの齟齬が生まれてめちゃくちゃ嫌われものになって跳ね飛ばされるみたいなときもあるし。

池田修三でめっちゃ儲けてるらしいな、とか言われたり(笑)。去年も、秋田のいちじくのキャラクターを東北復興支援のご当地モスシェイクの企画で使ってもらったんだけど、「いくらもらってんねやろ」みたいに言われたりもしちゃう。僕は一銭ももらってないどころか、無償でディレクションしてるんですけどね。

だから、よそ者が介入していくっていうのは、その覚悟を持っていかないといけない。でも僕は住んでないからいいんですよ。だけど、住んでるみなさんはそういうわけにいかないので、嫌われ役を僕に押しつけられるなら押しつけてください、みたいなスタンス。だから、それが強くなりすぎると、さすがにつらくなってやめるみたいなことも、正直ある。

仲間がほしいなら、まずは自分がやりきれ

——『のんびり』はチームで制作されていたそうですが、どういう体制をとっていたんでしょうか。

藤本:なんか、こうやっていろんな場所でお喋りして、質問コーナーがあったときに、結構チームビルディングの話になるんすよ。

たとえば、地方のデザイナーさんってグッドデザイン賞をとりたがるじゃないですか。それって、目の前のクライアントさんが自分が出すデザインに対して「かわいい」とか「おしゃれ」とか言って、ある意味で否定してくれないからだと思うんです。「いやいやわたしのデザインなんてまだまだなのに」って誠実に取り組んでいる人ほど、その状況にどんどん不安になる。だからやっぱり外部の評価がほしくなる。

——で、グッドデザイン賞?

藤本:そうそうそう。だからグッドデザイン賞がありがたいんだと思うんです。つまり、そういったことも含めて、地方のクリエイターさんって、1人でやるコツばかり覚えちゃうんすよ。だから『のんびり』がやっていたのは、チームでなきゃ解決できないこと。池田修三のラッピング列車が走るためには電鉄会社の協力がいるし、県庁の協力もいるし、当然町の人たちの協力が不可欠。その一番、源流として、10人でぞろぞろ取材に行っていた。

じゃあその10人の仲間は、どうやって見つけるんですかって話になるわけ。なんか気まぐれに声かけたりするから、自分でもどう見つけてんねやろ? と思ってうまく答えられないことが多かったんだけど。最近わかったのは、声をかけるひとつの基準は「やりきっているかどうか」。

——「やりきっているかどうか」。

藤本:例えば僕、秋田でサウナをつくるために、よそ者やからみんなの反対を押し切って地下水掘り出しちゃったんです。ボーリングしたの。でも出るか出えへんかわからへんやん。

——え、現実の話です?

にわかに信じがたい。

藤本:現実の話。(山形県と秋田県にまたがる)鳥海山の伏流水のおかげで日本海の岩牡蠣とかも最高にうまいのね。元滝伏流水っていう他にない美しさの滝があったり、とにかくこの町の水はめちゃくちゃいいのに、誰も水がいいとは言ってないなと思って。かといって、その水をペットボトルに詰めて売るとか嫌だから。

サウナって水風呂って水が命なんです。「ととのう」って言葉をつくった「濡れ頭巾ちゃん」っていうブロガーのおじさんがいるんやけど、その人は、水は飲むより入る方が違いがわかるっておっしゃってる。

熊本にいくと必ずいく「湯らっくす」っていうサウナには地下水が天井から降ってくる水風呂があったり、ホームの神戸クアハウスってサウナには六甲のおいしい水が水風呂でダバダバ流れてたり。水のいいところを求めてサウナーは行くわけ。サウナブームやからサウナをつくろうじゃなくて。水を表現したいってことだった。水道でひねった水よりも、そのままの地下水を感じてもらいたいっていう。

——水の良さを伝えるため。

藤本:ここが大事なんだ、ってポイントが明確にあったら、ある程度の反対を押し切ってもやりきるじゃないですか。サウナのプロジェクトは残念ながら自分の手を離れてしまったけど、ただサウナをつくりたかったやつじゃなくて、この町の財産が水だということを伝えたかったやつ、っていうのはきっと伝わると信じてるんです。だからこそやっぱりやりきることが大事で、やりきったやつにはまた声がかかったり、やりきったやつ同士が見えてきたりするんだと思うんですよね。

——確かに。

藤本:だからもし仲間がいないんやったら、それはあなたがやりきれてないってことなんじゃないかっていうのが僕の現状の結論。

おわりに

「小さなメディアの続け方・終わり方」をテーマに企画した今回のトークイベント。メディアをやっていると、どうしても「このメディアをどうやって続けられるか」と考えがちなのですが、藤本さんが見据えていたのは、メディアを続ける方法ではなく、その先のカルチャーにする方法でした。

私たちは、メディアをつくることがゴールになっていないだろうか。

続け方や終わり方を考える前に、なにを最終目標にするのかを考えてみることが大事なのかもしれません。そして、やりきっていくこと。そしたら、もし手放すときがきても、別の世界が見えているんじゃないか——。そんなふうに感じたイベントでした。

トークでは、他にも藤本さんがどうやって編集者になったのか? のんびり制作の裏話などが登場し、とても充実した内容でした。そして、イベント終了後には打ち上げも。〈AND BOOKS〉のカウンター内の壁にサインする藤本さん。
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PROFILE

藤本智士(ふじもと さとし)

有限会社りす代表。編集者。1974年生。『Re:S』『のんびり』編集長。自著『魔法をかける編集』『アルバムのチカラ』等の他『ニッポンの嵐』『るろうにほん 熊本へ』(佐藤健)『かみきこうち』(神木隆之介)など編集。

藤本さんのnoteで、今回の旅についてのエッセイも書かれているので、ぜひ読んでみてください!
>>取り戻す旅⑥ 『八戸の夜』編

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栗本 千尋(くりもと ちひろ)

青森県八戸市在住。3人兄弟の真ん中、3人の男児の母。旅行会社、編集プロダクション、映像制作会社のOLを経て2011年に独立し、フリーライター/エディターに。2020年8月に地元・八戸へUターン。八戸中心商店街の情報発信サイト『はちまち』編集長。