“コスパの悪い取材”で、地方にいながら全国に届けた雑誌

——藤本さん、まずは自己紹介をお願いしてもよろしいですか。

藤本智士さん(以下、藤本):藤本といいます、よろしくお願いします。有限会社りすっていう会社をやっています。もともと、こういう雑誌をつくっていたんです。

「Re:Standard」の頭文字をとって『Re:S』。会場となった〈AND BOOKS〉には『Re:S』や『のんびり』、藤本さんの著書などがあり、「この店、ほんとすごいね」と感動しきり。

藤本:創刊号を出したのが2006年だから、もうすぐ20年なんですよね。それぐらい編集の仕事を続けてますって話なんですけど、この雑誌のコンセプトが「Re:Standard」、つまり「あたらしいふつうを提案する」だったんです。

僕は普段、兵庫県に住んでいて、事務所は神戸にあります。この『Re:S』って雑誌も、当時は大阪に編集部を置いて、関西でつくっていたんですよ。リトルモアっていう出版社から発行して全国の書店さんに置いてたから、東京でつくってる雑誌みたいなんだけど、よくよく読んでみると関西弁でしゃべっている。地方にいながら全国に届けるってことにチャレンジした雑誌でした。

——『Re:S』は、地元の情報を発信するようなローカル誌とは違って、いろんな土地に行かれていますよね。

藤本:僕は東京だけが、堂々と他の地域に東京ローカルな情報を発信することに違和感を抱えていて。いろんな地方の情報を堂々と都会に向けて発信したかった。なので、この雑誌は車で延々、しかも出来るだけ高速じゃなく下道を使っていろんな場所に行ったんですよ。お金がなかったっていうのもめちゃくちゃ大きいですけど、僕とカメラマンとそれぞれのアシスタントを合わせた計4人が、僕のちっちゃいデミオっていう車に乗って、車中泊しながら移動してた。

4人いるからシートも倒せない。だから車で寝たくなかったら、人の家に上がり込むしかなかった(笑)。なので、出会い頭の人の家に泊めてもらうっていう変な取材ばっかり続けていたんです。青森に行くぞっつって、手前の長野で満足して帰ってきたこともあるし、北海道を何日もかけて一周したのに、そのあとの青森で出会ったこぎん刺しのおばあちゃんに感動して、北海道について3行しか載ってないとか。むちゃくちゃコスパの悪い取材をしてました。

——『Re:S』は、雑誌の固定観念を壊した雑誌だったんですね。

藤本:雑誌って、特集があって、サブ特集があって、連載があって、なんなら最後に占いがあるみたいな。なんかめちゃくちゃフォーマットがある。でも、自分たちでつくるなら、そのフォーマットをなぞる必要はないわけじゃないですか。

普通は特集と広告が連動していて、営業さんと編集部がチーム制でつくってるじゃないですか。だから、例えばあんこ特集でみたらし団子を紹介したら、編集部だけじゃなくて営業さんも困るし、ただのクラッシャーでしかない。だから、自由にやるならやっぱ広告なしがいいなーと思ったんですよ。クライアントが優位に立って特集が決まっていくみたいなのは本末転倒やなと思ったし。

——藤本さんの著書には、広告の出稿を断ったこともあるって書いていましたが……。

藤本さんの著書『魔法をかける編集』(インプレス)

藤本:水筒の特集をやったときね、象印さんが広告出稿するって言ってくれたんですよ。ありがたいんだけど、そのデザインが納得いかなかった。で、断るっていう。超失礼だけど譲れなかったんです。

——今、当たり前にみんなが使っている「マイボトル」って言葉、藤本さんがつくったんですよね。

藤本:そうですね。象印さんとの会議のなかで、社員さんたちが、魔法瓶のことをボトルと呼ぶことに新鮮さを感じて、提案した言葉なんですよ。まあ他にもいろんな理由があるんだけど、ざっくり言うと。

一つの家のみそ汁の味を変えるために

——すごく気合いの入った雑誌だったことが伝わってきたのですが、『Re:S』をやめたのはなぜだったんですか?

藤本:『Re:S』の2号目で「フィルムカメラでのこしていく」っていう特集をつくったんですけど、そのとき矛盾にぶつかったんですよ。この特集が書店に並んでいたとき、手にとって行動に移してくれる人は、フィルムカメラのよさをすでにわかってる人じゃないですか。

『Re:S』は、人寄せパンダみたいに、ただ有名だからと、失礼なかたちで無闇に著名人を出さないって決めてたんですけど、いろんな人に手にとってもらうためには間口を広げることも重要。その矛盾を抱えて、このままじゃ次に行けない気がして『Re:S』をやめた。

ーーやめちゃうんですね?

藤本:そのときの僕は、市井の人たちの言葉に触れすぎていたので、逆に誰もが幸福になるような超一流のエンタメに触れないと、何かを発信する人間としてバランスが取れないって思ったんです。それで当時「ディズニーランドに行く」ってことと「ジャニーズのコンサートに行く」ことを決めた。

——なぜジャニーズだったんですか?

藤本:『暮しの手帖』って雑誌の初代編集長の花森安治さんって方が好きなんですが、「一つの内閣を変えるよりも、一つの家のみそ汁の作り方を変えることの方が、ずっとむつかしいにちがいない」という言葉があるんです。

で、僕は常々「みそ汁の味を変えたい」って思ってた。

「みそ汁の味を変えたい」

——みそ汁の味を変えることとジャニーズがどう関係してくるんでしょう……?

藤本:『Re:S』って、地方で出会う人たちのほかは、僕とかカメラマンとかの取材チームしか基本出てこない。今でこそウェブの記事でライターのアイコンが出てくるとか当たり前だけど、当時の雑誌で編集者やライターが出てくることってなかったんです。でも僕は無闇に有名人を出さないって決めてたから、泥んこになってる自分をありのまま出していくしかなかった。

「このおばあちゃんがめちゃくちゃすごい」って、僕が言うより坂本龍一さんや北野武さんが言った方が絶対にいいじゃないですか。でも、少なくともこいつは嘘ついてなさそうだなとか、感じてもらうには、全部さらけ出すしかなかった。

世の中の雑誌はきれいなアウトプットだけでしょう。でも『Re:S』では、過程を見せないといけないなって。そうすると自分が出ていくしかないから、泣く泣くそういうのやってたり。

まあそういうある意味でアンダーグラウンドなことばかりやってるような気がしてきたんで、めちゃくちゃ大衆性があるものやらないとバランスが取れなくなると思ったの。だからこその、ディズニーとジャニーズ。

まあディズニーランドには行けたんだけど、ジャニーズのコンサートって全然チケットとれへん。ファンクラブに当然入らないといけないし、入ってもとれへんとか言われたら、じゃあどうすればいいねんみたいな。

そしたら、ジャニーズから電話かかってきたの。「『Re:S』読んでたら休刊って文字を見ました」って。

——え!?

藤本:「ずっとRe:S見てて、仕事を頼みたいと思ってたんですけどずっと旅してはるし、でも休刊って見たんで今やったら頼めると思いました」って言ってくれて。

——えーすごい。そんなことあるんですね。

藤本:で、言われるままに東京に出ていって、待ち合わせしたテレ朝のロビーに行ったら、嵐の本をつくってほしいって。それで『ニッポンの嵐』って本をつくることになったんです。『Re:S』を読んでましたって電話をくれたので、じゃあ僕がやりたいことを言ってもいいんじゃないかっていう気がして、企画を考えさせてもらった。

僕は地方が本当にいいと思っていて、みんなに日本中を回ってほしいなって。大野(智)くんと奈良(美智)さんの展示を見るために青森へ来たり、松潤と隠岐島に行ったり。僕がどんなに「地方がいい」って言っても、ほんの一部の人にしか共感されなかったけど、こういう人たちが言うと世の中って変わっていくんやーって思った。もちろん、目標だった彼らのコンサートにも行けた(笑)

後編へ続く

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PROFILE

藤本智士(ふじもと さとし)

有限会社りす代表。編集者。1974年生。『Re:S』『のんびり』編集長。自著『魔法をかける編集』『アルバムのチカラ』等の他『ニッポンの嵐』『るろうにほん 熊本へ』(佐藤健)『かみきこうち』(神木隆之介)など編集。

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栗本 千尋(くりもと ちひろ)

青森県八戸市在住。3人兄弟の真ん中、3人の男児の母。旅行会社、編集プロダクション、映像制作会社のOLを経て2011年に独立し、フリーライター/エディターに。2020年8月に地元・八戸へUターン。八戸中心商店街の情報発信サイト『はちまち』編集長。